こんにちは micaです。
私は小学校3年生の時から30年以上、三浦知良選手を追いかけ続けているファンです。カズ選手の最新情報、これまでの歩み、ユニフォーム等々について掘り下げるブログ「キングカズタイムズ」を日々更新しています。
本日は「三浦知良(カズ)選手 ブラジル・サントスFC時代について」について書かせて頂きたいと思います。
カズ選手がブラジルで初めてプロとなった1度目の契約、そして実力・経験を身に着けた上での2度目の契約。
カズ選手のプロサッカー人生を語る上で、とても重要なクラブチーム「サントスFC」について一緒に見ていきましょう。
目次
三浦知良(カズ)選手 サントスFCとのプロ契約について
サントスFC=ブラジル・サンパウロ州サントスを本拠地とするクラブチーム。
あのペレが在籍していた事でも有名かつ、あのロビーニョやネイマールも所属していた超名門で、ブラジルで唯一、南米王者と世界王者に輝いたというクラブです。
カズ選手は1982年にブラジルに渡り、ユース、ジュニオール世代を経て、
1986年に初めてプロ契約したクラブがこの「サントスFC」でした。
その快挙は日本でも大きく報じられましたが、当時同じポジションにはブラジル代表のスター、ゼ・セルジオ選手が在籍。さらにプロとしての経験不足も露呈し、結果が出ず、トップリーグに2試合のみの出場にとどまりました。
※デビュー戦では当時サントスFCに在籍していた闘将デュンガ(以前、ジュビロ磐田に所属)から、厳しい叱責受けたと、カズ選手が後のインタビューで語っていました。
↓↓↓当時、一時帰国していたカズ選手の映像が残っていました。若い!
その後、出場機会を求め、SEマツバラや、CRB、ジャウー、コリチーバ等々を渡り歩いていく中で、実力と経験を積み、特にコリチーバでの活躍、チームの快進撃の中心選手として話題を呼び、
1990年 4年ぶり…にサントスFCと再契約を実らせました。
カズ選手にとって、リベンジを果たした形になりました。
そして移籍後はレギュラーを確保。
1990年4月29日の強豪パルメイラス戦では1ゴール、1アシストを記録。
この日のカズ選手のゴールはブラジル国内に衝撃を与え、有名サッカー誌「ブラカー」の表紙を飾るほどでした。
読売クラブ加入のため、サントスを退団するラストゲームでは、ゲームキャプテンを任されプレー。試合後には、熱狂的なサントスサポーターから「KAZU!KAZU!」というコールが繰り返されました。
カズ選手がこのコールを受けられるところに来るまで、どれだけ苦悩し、どれだけ努力したのか・・・
その声援が7年半に渡るブラジル武者修行で勝ち取った、
本物のプロサッカー選手として の証だったのだと思います。
三浦知良(カズ)選手在籍時のサントスFC ユニフォームについて
三浦知良(カズ)選手在籍時のサントスFC ユニフォームはこちら
このユニフォームは小学校3年生の頃、サッカー部のコーチから譲り受けたもので、
私自身、生まれて初めて手にしたカズ選手のユニフォームが、このサントスFCのユニフォームでした。(長谷部コーチありがとう)
ユニフォーム収集癖も、このユニフォームのせいですね(笑)
このビンテージ感満載の生地、最高です。
今もなお続くサントスFCとカズ選手の関係
カズ選手はクラブを去った今でも、サントスFCとの交流を続けているようです。
サントスFCの練習場にはカズ選手の壁画があったり↓↓↓(誰しもがツッコむであろうKAZUOカズオ・・・誰!)
クラブを訪問すれば、以下のような状態に。
ジャウーとの関係や、サントスとの関係など、、、
初心を忘れないカズ選手。
本当に素晴らしいですし、見習いたいですね。
カズ選手のこれまでのチーム遍歴一覧記事は以下!
最後に(まとめ)
カズ選手はトヨタカップの公式アンバサダーを務めた際も、
アンバサダーという立場でありながら、
「サントスFCに勝ってほしい」と語っていました(笑)
思わず笑ってしまいましたが、
自分の原点を大切にし、未来に向けて、今も努力を続けるカズ選手。
立ち止まったり、悩んだりした時に、一度立ち返る。
(やると覚悟を決めた、あの喫茶店にもう一度行って考えてみたり・・・という小さな事でも良い気がします。スケールが小さな私の場合ですが・・・笑)
「原点」と呼べる場所を見つける、大切にする。
そういった事を自然体で行うことで
ブレない軸を作っているのだと感じました。
サントスFCについて、今日はここまで。
今日も読んでいただきありがとうございました!ではまた!
mica
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