こんにちはmicaです。
私はユニフォーム収集歴30年、三浦知良選手を追いかけ続けているファンです。カズ選手の最新情報、これまでの歩み、ユニフォーム等々について掘り下げるブログ「キングカズタイムズ」を日々更新しています。
本日は「三浦知良(カズ)選手 ヴィッセル神戸時代について」について書かせて頂きたいと思います。
目次
三浦知良(カズ)選手がヴィッセル神戸に入団した経緯とは
前所属チームであった京都パープルサンガでは在籍期間 1年半で公式戦24ゴール。
FWとして結果を残していました。
しかし、そんな活躍をよそに試合では負けが続き、
京都パープルサンガはJ2への降格。
高額な年俸をもらっていたカズ選手は、またしてもゼロ円提示にて戦力外通告を受けました。
そんな中、カズ選手にオファーを出したのが、ヴィッセル神戸でした。
この頃、ヴィッセル神戸の他にも古巣ヴェルディからの獲得オファーが届き、古巣への復帰が濃厚と思われていた中、カズ選手はヴィッセル神戸を選択。
この選択についてカズ選手は雑誌Numberの取材で以下のように述べています。
サッカー選手として一番評価してくれる所ならどこだって行く。何かを持ち続けることにはあんまり興味はないんだ。ここまで築いてこれたのは自信だし、物を守っていようなんてこれっぽっちも思わない。神戸で何をできるかを考えていたからね。
雑誌 Number 平成13年2月22日号 サーティーズの冒険 三浦知良ロングインタビューより
「サッカー選手としての評価」=「プレイヤーとしての評価」が最優先という事ですね。
カズ選手は常にシンプルに、この姿勢を貫いているように思います。
カズ選手クラスになると、経済効果や、所属選手への影響力等々、付随する部分が増えていき実際の評価が見えにくくなってしまいがち。
そんな中で「プレイヤーとしての評価」を一貫して判断基準としているカズ選手。
10年くらい前、横浜FCにブラジルのプロチームからオファーが届いた際も「プレイヤーとして評価が高い横浜FCを選択し、残留を決めた」と語っていました。
三浦知良(カズ)選手がヴィッセル神戸での活躍は
カズ選手のヴィッセル神戸での活躍をシーズンごとに振り返ってみたいと思います。
2001年シーズン ※ヴィッセル神戸入団
2節のFC東京戦でヴィッセル神戸移籍後、初得点を挙げ好調ぶりをアピール。
11月24日ヴィッセル神戸の新ホームグラウンド「神戸ウィングスタジアム」のこけら落としとなった横浜F・マリノス戦ではゴール前の相手を神トラップで置き去りにし、ゴール。
このゴールはカズ選手ご自身も「ゾーンのようなもに入っていて、勝手に身体が動いた」と語っていたほど素晴らしいゴールでした。(その試合が以下↓↓↓)
シーズン通算11ゴールを決めるなどFWとしての健在ぶりを印象づけました。
2002年シーズン
2002年には代表でコンビを組んだ城彰二選手、そして播戸竜二選手が加入。
第二節ガンバ大阪戦でゴールを決め久々のカズダンスを披露しました。
以下、2002年ヴィッセル神戸 vs ベガルタ仙台の試合の様子がアップされていました。 カズ選手、城、播戸の3トップです↓↓↓
しかし、この頃からフル出場する試合が徐々に減り始め、
その後の2ndステージでは臀部の怪我のため長期離脱。
ほとんど出場機会を得られないまま、シーズンが終了しました。
2003年シーズン
2003年シーズンはFWのオゼアスと播戸竜二が2トップとして出場する事が多くなり、ベンススタートとなる事が増え始めましたが、1stステージ第8節でシーズン初得点を記録しました。
2ndステージ、残留争いを繰り広げる中、FWのオゼアス選手が怪我で離脱。スタメンが回ってきたカズ選手は鹿島戦で劇的ゴールを決め、ホームでの3ヵ月ぶりの勝利に貢献しました。
そんな中、チームはというとリーグワースト63失点・・・。
しかし、リーグ終盤戦、カズ選手や、播戸選手の活躍により、最終節を待たずJ1残留を果たしました。
2004年シーズン
2004年シーズンは12節ガンバ大阪戦でゴールを記録。
これは11年間連続ゴール記録となりました。
神戸は2ndステージ大型補強としてエムボマ、そして日本代表の平瀬智行を獲得。
FWのポジション争いは熾烈を極めていました。
カズ選手の出場機会も徐々に減っていきました・・・
普通の選手であれば当然腐ってしまったり、引退を選択したりすると思いますが・・・
更なる努力を続けたカズ選手。
結果、シーズン後半でスタメンを奪取。
本当に観ていて感動しました。
その後、「3試合連続ゴール」を記録するなど、チームの残留に大きく貢献しました。
この辺りがずっと応援したくなる大きな理由で、
「カズは、やはりカズでした」と言われる一つの要因だと思いますね。
2005年〜 ※ヴィッセル神戸退団
2005年シーズンも好調なスタートをきったカズ選手。
開幕3試合連続ゴールを記録しました。(Jリーグ創設以来13年連続ゴール)
しかし、その後チームは低迷。監督交代のドタバタが続き、完全にチームの構想から漏れ、
監督やコーチ(兄の泰年さん)の解任後、ベンチ入りすらさせてもらえず、シーズン途中でキャプテンの交代を言い渡され事実上の戦力外となってしまいました。(めちゃくちゃ腹が立ちました・・)
そして7月26日に行われたボルトン vs ヴィッセル神戸の親善試合を最後に、ヴィッセル神戸のユニフォームを脱ぎました。
その試合も後半残り5分を残し無得点で途中交代・・。(どういう事?あと5分だよ)何となくモヤモヤが消えない最終試合となりました。
※ 試合後は引退セレモニーばりの「退団セレモニー」が執り行われました。
その後、カズ選手はカテゴリーを1つ下げ当時J2だった横浜FCに電撃移籍を果たしました。
三浦知良(カズ)選手がヴィッセル神戸 当時のチーム状況とユニフォームについて
かつてメインスポンサーだったダイエーが撤退後、
メインスポンサーが付かない状態で、母体企業を持たない神戸の年間予算は他クラブと比較しても少なく、年間入場者数も伸び悩んだ為、不足分を地元自治体である神戸市からの単年度貸付に拠らざるを得ない経営が続き、年度ごとに額を増やしながら借入を繰り返しているような状態でした。
2001年ヴィッセル神戸移籍時の三浦知良(カズ)選手modelのユニフォームはこちら↓↓↓
慢性的、かつ巨額の赤字に苦しむヴィッセル神戸は2003年には営業譲渡を発表。
2004年1月に楽天の三木谷社長が代表を務める企業「株式会社クリムゾンフットボールクラブ」が営業権を譲渡されました。
胸のスポンサーには「楽天」が入りました。
当時、楽天の存在を知らなかった私は「漢字で楽天って、、、めちゃくちゃダサい」とユニフォームを買う事すら躊躇していました。
しかし、結局購入。。
そんな2004年シーズンヴィッセル神戸 三浦知良(カズ)選手モデル ユニフォームはこちら↓↓↓
さらにアウェイも購入。。。↓↓↓
(胸の楽天ロゴがダサいな・・とか言いながら買ってしまうのですが・・。)
そして、2005年 チームカラーの変更というサポーターにとって「恐れていた事」が現実になりました。
経済的に瀕死の状態からヴィッセル神戸を救った楽天の三木谷社長ですが、
もちろん彼はビジネスマン、でありオーナー。
チームカラーについて、
楽天のコーポレーションカラーであるクリムゾンレッドへの変更を発表しました。
これに対し、「三木谷社長のチーム私物化だ!」と、
一部のサポーターが反発。
「チームカラー存続の為の嘆願署名」なるものを集めるも、却下され、
クリムゾンレッドと呼ばれる「赤」が正式なチームカラーとなりました。
そんな2005年ヴィッセル神戸 三浦知良(カズ)選手モデルのユニフォームがこちら↓↓↓
今やイニエスタも在籍するビッグクラブとして成長を遂げたヴィッセル神戸ですが、
当時はゴタゴタ続きで、存続も危ぶまれたチームでした。
そんなゴタゴタの時期に、チームを鼓舞し続け、何度も降格の危機から救ったカズ選手の功績について、実はあまり知られていないような気がします。
本当に大きな財産を神戸に残したと私は思います。
最後に
今回は、カズ選手の神戸時代について取り上げてみました。
神戸の魅力をPRしたり、宣伝したりする「神戸大使」にも選ばれているカズ選手。
横浜FCに移籍した後も頻繁に神戸を訪れていたほど、神戸愛に溢れています。
そして、先日(2020年11月8日)、その古巣ヴィッセル神戸と横浜FCが対決する試合が行われ、カズ選手は53歳にしてベンチ入り。さらに後半87分から途中出場を果たしました。(この試合はイニエスタ vs キングカズというレジェンド対決でかなり話題になりました。 )
そのヴィッセル神戸 VS 横浜FC戦についての記事は以下↓↓↓
記事を取得できませんでした。記事IDをご確認ください。
未だサッカー選手として、成長を続け、闘い続けるカズ選手。
もちろんこれからも全力で応援していきたいと思います!
(今も変わらず、現在進行形で応援させてもらえる事、自体が有難いですね。)
最後まで読んでいただきありがとうございました!
ではまた。
mica
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