こんにちわmicaです。
私は小学校3年生の時から30年以上、三浦知良選手を追いかけ続けているファンです。現在は会社員として働く傍ら、カズ選手の最新情報、これまでの歩み、ユニフォーム等々について掘り下げるブログ「キングカズタイムズ」を日々更新しています。
本日は「サッカーダイジェスト1992 11月号を読み返して」について書かせて頂きたいと思います。
サッカーダイジェスト1992 11月号はどんな内容?
まずは「1992 AFCダイナスティカップ」
本大会でカズ選手率いる日本代表は優勝を飾っているのですが、これは戦後初めて国際公式大会でタイトルを獲得した記念すべき大会でした。
当時、私は小学5年生で「もしかして、これから日本代表は強くなっていくんじゃね?」と子供ながら将来の日本サッカー界に明るい未来を初めて予感した事を今でも覚えています。
決勝 日本2-2韓国(PK 4-2)
得点は中山選手と高木選手。
サッカーダイジェスト1992 11月号でもう一つ重要な記事が、SOCCER FESTA’92の記事です。
日本代表がセリエAの強豪ユベントスに引き分けたというニュース(日本1-1ユベントス)。
ユベントスは10番のロベルト・バッジョを先発起用し、本気モード。こちらの試合も日本サッカーの夜明けを感じさせたニュースだったかと思います。(こちらは2試合目で、初戦は日本2-2ユベントスでドロー。カズ選手がゴールを決めています。両手を広げるパフォーマンス、小学生ながらマネしてました〜。懐かしい〜)
その初戦の様子はこちら! カズ選手のゴール最高です。まさに日本サッカーの夜明けの瞬間です。
そして日本代表のユニフォームが「赤から青」へ変わったのもこの時期。(自分が初めて観た日本代表の試合はカズ選手帰国後の赤いユニフォームでのキリンカップでした。)
しかし、、、元々、日本代表ユニフォームは青がメインカラーで、赤であった期間はナント1988年から1991年の3年間だけだったようで、当時監督であった横山謙三氏の意向だったと言われています。
ナンバーも、エンブレムも付いていないので、今更ながらナンバーとエンブレムを付けようか悩み中。
(ヤフオク等で売っているブート品のものしかないですかね・・・。)
トレーニングウェアはこちら。↓↓↓今となっては以外とレアです。
ちなみに、、、当時の南宇和高校も同じモデルでした。。。(余談でした)
カズ選手が日本に帰国して、日本サッカー界の未来が一気に拓けた時期のサッカーダイジェスト1992年11月号。その他の記事を読んでいてもワクワクが止まりませんでした。メルカリ等でも安く売られているので、機会があったらぜひ読んでみてください!
↓↓↓過去に所属していたチームの遍歴は以下の記事を参照ください。
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今日も読んで頂きありがとうございました!ではまた!
mica
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